夏休みに入ってから、勉強をいつも一緒にやってる子がいる
今までは、同じグループだったけどあんまり話したことのない子
なぜだか一緒にやろうってことになって毎日頑張ってる
その子は、私に手取り足取り意見してくれる
なかなか上手くいかないときは「こうしたらいいんじゃん?」
とかいってずっと待っていてくれる
そのお返しにというか、私はPCでまとめた資料をあげる
問題の答え合わせも一緒にやる

今までってどうしても自分一人でやってる感じだったから
自分が苦労して作った資料や意見をなかなか人に分けられなかった
聞かれて、答えて「ありがとう!」って笑ってくれても
一日かけて導いた答えを一瞬で手にいれたその人を
ちょっとうらんでしまうのだ
でも、この子はお互いにGIVE & TAKE って感じ
連帯感があるんだよね
だから、なんで教えなきゃならないの?とか思わない
私もその子に支えられているって思っているし
信頼が生まれてきたのかなぁ、居心地もいい

初めのころは表面的話が多かった
でも昨日、その子がクラスに対して思っていることを話した
別に悪口ではないけれど、なかなかそういうことって
信頼している人でないと話せないことだと思う
正直、メッチャ嬉しかった☆
話しているうちに私となんとなく似ていることが多いと思った
その子も結構一匹狼的なある子である
初めの方はこのクラスのグループ行動になんとかついていこうと思ったらしい
でも、私が結構ふらふら一人でいるもんだから、自分もまぁいいやと楽になったという
こんなこと初めて知ったよ
同じグループに子と笑いのつぼが合わないとか、団体行動や気を使いすぎる言動
どうして私は・・・と思っていたことが次々に上がってきて
私だけがそう感じていたわけではないんだぁって気持ちが軽くなった
私がクラスの人と一緒にいるのが苦手なのは「話をとぎれさせたらならない」
と思ってしまうのである。
仲の良い人なら、会話が途切れても少ししたらまた別の話題で盛り上がる
そのことが自然とわかりあっているから沈黙も全然心地よい
でも、お互い探りあうような関係の人だとなんとなく沈黙は気まずいものとなる
それが怖くて、私は一生懸命頭を使って話題を探す
これが面倒くさくて特に登校時は誰かと会っても挨拶をあまりしない
だって「おはよう!」って言っちゃうとその人と学校まで一緒に行かなければならなくなる
それゆえ誤解されることもあるけれど、やっぱり自分を守りたいのである

「私、話しているようで自分の事は全然話してないよ」
クラスで人懐っこく誰からも好かれている子が不意に言った言葉
私は本当にビックリしたよ
ちょっと暗くて引っ込み思案な子には話題を提供し
逆に活発すぎて自己が強い人達には、雰囲気が険悪にならないように道化になる
言われてみたら確かにそうだぁ
「気を使わずに話せる人は、○○と○○と貴女くらい」という
やっぱり20歳前後で、数年間一緒のクラスで生活するとなると
なるべく荒風を吹かせたくないというのが本心になってしまうのか
だからこそ、お互いに喧嘩しないように嫌な思いをさせないように
人に気を使って生活してしまうのだろうか?
私は、今までなかなか人と同じように行動できなくて随分と悩んだ
この団体行動の中で、自分に固執してしまい、ちょっと浮いていた面が強かったのだ
でも、結局話しやすいと思われている人は
自分の意見をしっかり言えて、正直な人であることがわかった
なぁんだ・・・とちょっと腰が抜けた
私は私らしくしていればいいんだと思った
そのおかげで私のまんまで話合える友達もできた!嬉しい☆
これからの学校生活は、少し自信を持って過ごせるような気がする・・頑張るぞ!

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